ボクの世代もアメリカ庶民文化の影響は多大だ。
パートリッジファミリーの家に驚き、大草原の小さな家に住みたいと憧れ、
アイビーリーグやUCLAのファッションを熱く語る先輩たちの真似をし、
無理してステーションワゴンも手に入れた。
ライ麦畑でかくれんぼもしたいと思ったし、
自分はグレート・ギャツビーのようになると思い込んだり、
キャパの写真集をよくわからないまま大事にしたり、
ボブ・グリーンのコラム本を小脇に抱えたりもした。
そして、村上春樹の本を今でも本棚の眺めのいいポジションに並べている。
春樹ブランドは、普段着ないのに捨てることが出来ないジャンパーのように我がクローゼットの中で場所を取っているのだ。
先日、市川真人著の「芥川賞はなぜ村上春樹に与えられなかったのか」
という本を呼んだ。
ああ、自分は春樹文学の何もわかっちゃいなかったんだなと正直感じた。
いや、これからもわからないかも。
そんな春樹氏がノーベル賞を受賞するかも知れないという巷の噂。
もしもかなえば、 春樹文学ファンは自分の生きてきた道を正当化されるような気分だろう。
ボクも、そんな気分になれると良いのだが、
残念ながら春樹氏の羊はボクの頭をさまよったままだ。
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