過去のコンテンツを商品として流通させることが簡単になった今、
クリエイターにとって、常にあたらしい作品を創作することが必ずしも正義ではない時代になった。(と思う。)
仕事作品より |
音楽業界では普通に流通している、
過去の作品をリスペクトしたリメイクやカバー、
また、演奏者が異なると違う楽曲になるという仕組みは、
グラフィックデザインやアートの業界においては、
いままでは正義ではなかったのだ。
(いつも羨ましく思っています。)
その理由は、作品の素材、記録・複製する技術や手法などの
物理的な限界があることもさることながら、
精神的・道義的なモノからによる。
(本音は、肖像権・著作権の問題なんですけどね。)
イラストレーション業界においても、
過去の作品を引っ張り出してリメークしたり、
いくらリスペクトしていても人の作品を流用することなどは、
全く正義ではなかった。
(ときどき、それをやって痛い目を見る人がいます。)
しかし、デジタル技術によって、
作品の保存・複製・流用・加筆が自由になった今。
少なくとも、正義でない理由となっていた物理的な限界からは解放された。
クリエイターにとって、新作と向きあうことの重要性は変わらないが、
いままで無視しても良かった自分の過去の作品も
視野に入れなければいけなくなった。
いや、視野に入れるどころか、
過去の作品と新作とが競合する時代になってしまったのだ。
リアルな話だが、ここ10年ほどは、
不景気でコスト的に新作を注文することが出来ないクライアントは、
過去の作品、有りモノの作品を要望している。
ストックフォトエージェンシーによるシステムが商売になっている所以だ。
(ストックフォトの世界も大変なんですがね。)
景気が良くなっても、この傾向は少しづつ形を変えながらも続くだろう。
受注生産を基本システムとしているクリエイター達は、
それに合わせた新しいビジネスモデルが必要となる。
他のシステムに頼らず自らの力で、
過去の作品と新作を巧く競合させることが正義の時代になるのだ。
(おっと、今日はガッツリした文章になってしまったなあ。反省反省。)
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